第24章 民族の台頭
顕著な違いのために気を使う必要がなく征服に都合がいいっていうのが、なるほどなーっていうかんじだ。違うからこわいっていうのもあるけど、違ってわからないから無視していいみたいな感じというか。
帝国とは、はっきりと異なる文化を管理するほど遠くまで拡大した国家であるとする定義がある
なるほど。帝国っぽい。そういえば帝国の定義について知らないので調べてみたい(他にもありそう)西洋における帝国および皇帝の概念は日本における帝国や皇帝の概念とは根本的に理念が異なり、帝国あるいは皇帝といった訳語には議論があるらしい。
帝国の定義面白い。組織とかでも同じ定義で考えられそう
インカ帝国が成功した理由のひとつが、征服された人々がすでにもっていた政治的・社会的な機構を統治のために利用したことだった。被征服者たちの生活を変えようとする代わりに、継続性を保ち、彼らの生活ができるだけ混乱しないようにした
なんかイスラム教の統治もそんな感じだったような...?
変化起こさないようにしたことで抵抗を抑えたのか、面白い
実際は、辺境の住民たちは殴打されて従属させられ、不穏な動きは鎮圧され、命令を聞かない村の住民たちはまったく別の土地へと移住させられ、屈することを余儀なくされた。
インカ帝国における民は庇護するけど、辺境の住民はインカ帝国にとって他者だったという感じか。地理的に離れれば離れるほど影響が少なくなっていくのはわかる気がする。
孔子は、漢民族の生活様式に従うだけで漢民族になれるという考えかたを広めた
知らなかった。こういう考えは他の場所でも同時多発的に生まれるんだろうか?環境によって生まれる気がしている
このセクションめっちゃ面白かった。そして、アイヌなー。北海道にいた頃にはあまり感じなかったけど、1990年代くらいの日本全体の雰囲気でいうと、アイヌをバカにする雰囲気はまだあったかもなー。っていうか、北海道の人をっていうのもあるかもしれないけど。
2回目
人々がしっかりと社会に組み込まれるほど、忠誠心やアイデンティティが作り替えられ、以前の政府は求心力を失い、征服者から距離を置こうとする傾向がいっそう弱くなっていった
どうしたいかによって統治の仕方が変わるのかな。これまでの社会=文化?を維持させたいならある程度地方政府に任せるという方法をとるとか。分社化とか、子会社化するけど自治は認めるとか現代の企業経営に通ずる気がする。
家社会は、容赦のない支配から寛大な併合まで、民の御しやすさと、民を管理することから得られる利益に応じて、さまざまな戦略を試みてきた。
面白い話だった。他者をどのように受け入れるのか意図的に戦略を変えていたんだなー
人類の多様性と歴史からいくつかの支配のオプションを学べるっていうのが単純にすごいことだなーっておもった。いまの民主主義や資本主義についても国別にこういったことがある種整理されているのが地政学とかなんだろうと思うし、現代の各国が例えば100年後にどう言われているのかは気になったなー。
人は、何かのアイデンティティを単に捨てて他のアイデンティティに乗り換えることはできないが、アイデンティティのしるしや、それらの利用のしかたは、私たちが、自身の社会の内部で起こる社会的な変化の展開に順応できるくらいに、つねに柔軟でなくてはならなかった
相入れないアイデンティティを持つ余所者を受け入れるようになる過程でアイデンティティのしるしや利用の仕方が柔軟に変わっていく的な話っぽい?面白いなあ。
区別がつきにくいからこそ標的にされるっていう視点はなかった。いままではしるしが違うからっていう話がメインだったけど。